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2009年4月23日 (木)

善の顔、悪の顔

20日の夜は、弁護士のA先生に食事をご馳走になりました。

昨年末に、ある民事再生案件をA先生からご紹介いただき、現在もそのコンサルを通して、一緒にお仕事をさせていただいています。

紀尾井町の福田家は、昭和14年に虎ノ門で開業し、後に紀尾井町に移転した高級料亭。

魯山人とゆかりが深いというお店は、器や随所に飾られた骨董の品々が素晴らしく、もちろん、お料理も美味しく、美しい器との調和に、ため息の連続でした…

そんな素晴らしいお食事に感動しつつ、A先生はじめ、事務所の弁護士のみなさんのお話を伺いながら、とても楽しく贅沢なひとときを過ごさせていただきました。

いつも明るくて優しいA先生から、そのとき、聞いたお話です。

A先生は、以前、国選弁護人を引き受けるかどうかで、被告人と面会したときの、笑顔がいまだに忘れられないのだそうです。

「先生、引き受けてくれるんですか!?」ほっとしたような、嬉しそうな笑顔。

しかし、結局、諸般の事情で引き受けることができず、その被告人は死刑になってしまった…

そのことは、A先生の心に今も残っているのだそうです。

どんな悪人でも、その中に、たとえわずかであっても存在する善の顔。

その人の善の部分だけとしか会っていない、先生の辛さはいかばかりか。

こんなに重い気持を、一般の人に負わせることになるかもしれない、新しい裁判員制度が、ほんとうによいものなのだろうか、と、先生はおっしゃいます。

誰もが善と悪との両面を併せ持っています。

どんな人間でも100%悪人にも、100%善人にもなれず、両方の要素を持ちながら生きています。

その両方のバランスを大きく崩してしまった人が、犯罪者なのでしょう。

いろいろな人の人生に直接関わらざるを得ない、弁護士の仕事の重さを垣間見た気がしました。

善の顔が少しでも増えるように、人の善の部分を信じること。

悪の顔がほんのわずかな人間らしさ程度で留められるように、人の悪の部分を早めに正すこと。

たぶん、法を超える社会としての成熟が、法を守り、人を守ることになるのだろうと、改めて思うのです。

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コメント

先日米国の裁判員制度についてテレビで見ました。
裁判員になった一般の方が被告人を死刑にすると確定。
確定してから死刑囚のリストからその被告人の名前が消えるまで何度もリストをチェックし、その間落ち込みトラウマになっているとのこと。人の命を奪う判決はどんなに正しい判決でもそれを言渡す一般人にとっては心理的ダメージになりうるのですね。
個人的にはこの裁判員制度は絶対に反対。

投稿: Shiro | 2009年4月23日 (木) 14時12分

社会正義の実現を使命として相当な法律的知識と経験を積んでいる弁護士でさえ、トラウマになるのです。まして不慣れな一般人が、たとえどんな悪人への判決であったとしても、人間一人の命です。平気なわけがないと思います。
裁判に国民が参加し、司法への理解を深めるために裁判員制度が導入されたという制度趣旨から考えれば、違う形であってもいいような感じがしますし、導入にはもう少し工夫が必要ではないかと、私も思います。

投稿: ami | 2009年4月23日 (木) 15時30分

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